東京交響楽団

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事務局長コラム―ノット監督LAST SEASON に寄せて①(全4回)

 2011年10月11日、私はジョナサンと共に空港に向かう車に乗っていた。たった5日間2公演の共演で音楽監督の就任を依頼するために。

 私の方は勝手にジョナサンを次期音楽監督の最有力候補と考えていたわけで、他の指揮者が評価を得て周囲から色々と言われても、「とにかく10月まで待って欲しい」と伝えた。実際彼が2011年10月に指揮した「ダフニスとクロエ」は未曽有の大成功を収め、監督打診へと繋がっていった。 

 車に乗る際に開口一番、その旨をストレートに伝えると、大層驚いていたものの、大きな興味を示してくれた。秋山・スダーン両氏が培った礎の上に次の大きな花を咲かせるためには、ジョナサンの現代音楽まで及びながらも古典やロマン派を中心に据えた膨大なレパートリー、想像を越えたコンセプトを持ったプログラミング、そして彼独自の真摯な音楽作りが欠かせないことを熱弁した。車を降りる際に、「Thank you very much for your crazy offer!」と言われ空港で見送った。ひょっとしたら、この瞬間に彼の気持ちは既に定まっていたのかも知れないと今になって思う。

 実際にマネジメントを介した交渉がスタートしたのは、年明けからだった。相手は、アバドやハイティンク、ラトル等を手掛けていたマネジメントの社長で、サインに至るには3回の訪欧を含めて実に半年以上の時間を費やした。前職から面識はあったものの、得体の知れない迫力と包容力を兼ね備えた人で、正に必死に話し、メールを送った。最後に「感動した」と彼から届いたメールは今でも保存している。発表記者会見では、ジョナサンの名前は伏せ、当日の記者会見で本人の登壇と共に発表し、会場を沸かせた。

 長い交渉の末何とか契約に辿り着き、プログラミングの相談が始まった。ノート2ページにぎっしりと書きなぐられた数十個のプログラミング案には、驚き、同時に楽しくなってきた。このプログラム案は今でも持っている。裏をかくことが好きな我々は、通常なら最後に演奏することの多いマーラーの交響曲第9番を、最初の定期演奏会の演目に取り上げることにした。前プロには、武満氏の「セレモニアル」を提案した。神々が舞い降りて式典が始まるような独特な雰囲気の後に始まるマーラーは、得も言えぬ風合いを醸しだした。実はこの時から、最後の曲目は再びマーラーの交響曲第9番にしたいと腹の中で決めていた。

こうして10年以上に及ぶ、ジョナサンとの音楽の旅が始まることとなった。

東京交響楽団 事務局長/辻 敏
演奏会プログラム「Symphony2025年4月号」掲載

ぎっしりと書き込まれたノット監督直筆のプログラミング案 ⒸTSO