The past, the present, and the future… 正指揮者 原田慶太楼が語る
まずは“TRY”―――
僕はもともとクラシック音楽とは一切接点がない家系。小学生のときに学校で「ウエストサイド物語」を見たことをきっかけに、ミュージカルスターに憧れたのが音楽との最初の接点でした。だけど、踊りも歌もめっぽう駄目。それでもミュージカルの仕事がしたいと思いサックスをはじめ、オーボエ、クラリネット、ホルンにヴィオラ……いろいろと弾いていました。ブロードウェイミュージカルのピットは本当に少人数で、1人でいくつもの楽器を担当するのが当たり前だったのです。それで「やっぱり本場で学んだ方が早いでしょ!」と、米国インターロッケン芸術高校音楽科にダメ元でテープを送ったら、合格。高校2年生のときでした。
すぐに渡米して、ミュージカルピットで演奏することを目指していた時、吹奏楽を教えていたフレデリック・フェネル先生を見て指揮に興味を持ち始め、レッスンを受け始めました。僕は、興味を持ったらとことんやりたいタイプ。ゲルギエフ、テミルカーノフなど、僕の憧れる指揮者はみんなサンクトペテルブルク音楽院だったので、「ここに行けば良い指揮者になれるんだな!」と思って(笑)、高校卒業後は年に数回サンクトペテルブルクに行き、指揮法を学びました。そこで勉強を進める中で、モスクワの先生を紹介してもらったことがきっかけとなり、モスクワ交響楽団で指揮者デビューしました。指揮をはじめて2年、2006年の時です。
その後も勉強を続けるうちに、「指揮者として活躍している人から直接学ぶのが1番」と考え、尊敬するロリーン・マゼールに手紙を書いたんです。でも返事が来なくて。ちょうどサマーフェスティバルをやるというので「アシスタントにしてもらえませんか?」って電話しちゃいました。それが、なんとOK。彼の家に住み込みで、実際に“指揮者の生活”に触れたことは大きな財産です。近くにいないと学べないことを多く経験しました。
日本出身ではあるけれど、音楽の勉強、ましてや指揮の勉強なんて日本で一切してこなかった。僕はコンクール歴もないので、最初は“日本語を話す、謎の外国人”でしたね。日本のオーケストラの“常識”なんかを全く知らない状態で指揮台に立ちました。「ハロ~!!」ってね(笑)。はじめて東京交響楽団を振ったのは2015年でしたが、そのときから雰囲気が良かったです。ともに良い音楽を創り上げたいという気持ちを、最初から共有できている感覚がありました。
就任記念コンサートのプログラム
プログラムは、かなりこだわって選曲しました。演奏会によっては「この曲やってください~」「誰とやってください~」と、事前にお願いされることも多いのですが、正指揮者就任記念ということで、1から考えました。
今、作曲家が今の僕と同じ年齢の時に作った曲をとりあげるのにハマっています。今36歳の僕が、彼らと同じ年齢の時にその作品をとりあげることで、“今しかない演奏”ができるかなって。
まず、自分にとって特別な作曲家であるバーンスタインの36歳の時の作品を調べたんです。そこで上がってきたのが、ヴァイオリン「セレナード」。そこに合う曲を、という形でプログラミングを組み始めました。そしてこの曲とほぼ同時期に初演され“人物”を題材とする共通点を持つショスタコーヴィチ第10番。私が渡米後初めて演奏した作曲家であるティケリは、吹奏楽の中ではかなり有名ですが、まだ日本のオーケストラで取り上げられることが少ないので、是非紹介したいと考えました。
正指揮者というポジションで、やりたいことが沢山ある
正指揮者のお話をいただいた時、これまでの経験を踏まえて、さらに今の自分のやりたいことを最もできるのが、この“正指揮者”だと思いました。客演で1度きりの演奏会ではなく、正指揮者として共にオーケストラと歩むからこそ出来ることがあります。まだ発表できていないものもありますが、こども定期演奏会での「新曲チャレンジプロジェクト」など、既に進んでいる計画はいくつか。日本のクラシックは、新たなお客さんを呼び込む力が弱い。若者へのアプローチがもっと必要だと常に思います。新たな取り組みは率先してどんどんやるべき。間違えたらやり直せばいいんですから(笑)。
東京交響楽団には、初代音楽監督 秋山和慶さんが築き、2代目スダーンさんの時代があり、そして今ノットさんが率いている。飯森範親さんが長らく正指揮者を務めた歴史もあります。オーケストラの変貌の裏に、それぞれの指揮者がいたのです。僕も東京交響楽団に刺激を与えられるようにしたい。僕の強みは“オールマイティ”なこと。今後の方向性としては、クラシックにジャズ、映画音楽まで、幅を広げて取り組みたい。すでに “なんでもできる。でも楽団の色がある”という東響ととても相性がいいですし、新たな視点も持ち込みたいです。
取材:事務局
All photos by T.Tairadate