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【特別エッセイ】愛と夢とやさしさのさきに|11/15特別演奏会 ラヴェル:歌劇「子どもと魔法」

音楽監督ジョナサン・ノット & 東京交響楽団「子どもと魔法」
愛と夢とやさしさのさきに

インタビュー・文 青澤隆明(音楽評論)

 オペラはまず、愛の物語である。時代を超えて、さまざまな愛のドラマを鮮やかに描いてきた。抗い難い運命の力や、死や喪失とともに。
しかし、このオペラでは誰も死なないし、遠くに旅立つこともない。すべては子どもの内面の変化として、ファンタジックに進展するだけだ。まさしく親密な魔法のように。

 今年はモーリス・ラヴェルの生誕150周年。そして、『子どもと魔法』はいまからちょうど100年前、1925年に初演されたオペラである。子どもの目覚めをめぐる“ファンタジー・リリック”で、もともとは童話バレエとしてコレットが構想した台本に作曲したオペラだ。ラヴェルの温かなまなざしや生命への慈しみが、優美に結ばれた詩的なファンタジーである。
 主人公は7歳か8歳の男の子で、しかしこの役を歌うのは女性だ。宿題をせず、お母さんを怒らせて家にひとり残される。寂しさと反抗があり、こどもじみた暴力と破壊があり、周囲のものたちは傷つけられる。しかし、動物たちや木々が我先にと子どもを襲うさなか、リスもまた負傷してしまい、傷ついた少年はその手当てをする。動物たちはこれに驚いて、倒れた少年を家に運ぶ。端折って言えば、それだけの話である。
 それだけの話が、しかし魔法のように、多彩な音楽に彩られて、めくるめく織りなされていく。古い家の、魔法の庭で。家具や生きものたちが人間の言葉、フランス語を話して。
そこで少年が知るのは、やはり愛である。ともに傷ついたリスへの手当て、それを他者への愛のまなざしとみるならば、愛こそは心をひらく鍵である。それは共感と理解のまなざしだ。また、オペラの第1部で、少年は本のなかに描かれていたプリンセスに初恋を覚え、「ぼくが守ってあげる」と言う。これも愛の萌芽だろう。もちろん、このオペラではやはり母子の愛が大きく、いっぽう物語のなかに父はいない。子どもが「ママン!」と叫んで、オペラが幕となるのは象徴的だ。「ママン!」は、魔法の言葉であり、少年にとっての護符でもあった。

11月15日特別演奏会 ラヴェル:歌劇「子どもと魔法」ソリスト陣。日本を代表する実力派が勢ぞろいした。

このオペラのフランス語原題は「子どもと、魔法にかかったものたち」といった意味合いだ。魔法にかけているのは誰か? もちろん原作者のコレットであり、作曲家のラヴェルである。そして、ここではジョナサン・ノットがその魔法のタクトを預かることになる。モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスのシリーズで意欲的な成果を実らせてきたオペラ・コンチェルタンテ、演奏会形式の「聴くオペラ」を、いよいよフランス近代の作品でも実現する。

「この物語には愛の要素が色濃く、また繊細な感受性が基調にありますから、日本の聴衆にはとくに訴えかけるところが大きいと私は思います」とノットは言っていた、「すべてのキャストに日本人の声楽家を迎え、二期会合唱団、にいがた東響コーラスと共演することも重要です。聴き逃すことのできないオペラ体験となるはず」と。 
さて、『子ども』と『魔法』と言えば、どちらもラヴェルの得意領域だけに、このオペラの音楽の筆致も色彩に溢れ、きわめて精緻で繊細なものだ。そしてある意味、ここでのラヴェルは子どものように欲張りでもある、興味のあるものを次々と手に取ってみせるように。ジャズのイディオムや、さまざまな形式の音楽を鏤め、パッチワークのように素早く展開させていく。多元的なスタイルやイディオムが、ラヴェル一流の洗練味をもって織りなされている。めくるめくアニメーションのような楽しさと彩りは、まさに夢のようだ。

「多彩な音楽様式が採り入れられ、実に驚くべき響きをもった作品です。書法は非常に聡明で、色彩の精妙さも素晴らしい」とノットは言う、「この音楽には、あらゆる種類の美しいものたちが、万華鏡のように鏤められているのです」。
音楽監督としての長い歳月をかけて、東京交響楽団と磨き上げてきたフランス音楽、その精妙な響きの世界の集大成ともなろう。思い返せば、ノットと東響の決定的な出会いは2011年10月、フランス音楽への取り組みから始まったのだった。最初の共演もラヴェル、このときは『ダフニスとクロエ』全曲で、冒頭にドビュッシーの『夜想曲』から「シレーヌ」が組まれていた。
この秋のプログラムでは、まず彼らの始まりとなった「シレーヌ」を再訪し、さらにデュリュフレの『3つの舞曲』op.6を採り上げ、ラヴェルのもうひとつの大曲をメインに据える。そうして、ノットと東響、そして聴衆は、ここにひとつの円環を優美に結ぶことにもなる。

そこにあるのは、やさしさであり、その人間的なやさしさは、そのままで美しさだ。それは愛の言葉である、とステージを聴き終えた私たちは思うかもしれない……。
子どもも魔法も、驚きと不思議の感覚に愛されしものだ。その世界は、優しく繊細な響きと幻想のヴェールのなかに包まれている。しかし、その夢のような時間から出ることも、そのきっかけも必要なのだろう。
そして、この気づきが、また新しい情景の始まりなのである。世界は驚きに満ちている。音楽の世界は、さらに自由に、際限なく私たちを冒険へと駆り立てる。
どのページにも驚きと感動に溢れた興味深い旅を記しつつ、ジョナサン・ノットと東京交響楽団が12年の歳月をかけて書き継いできた本は、もうすぐいったんは閉じられる。しかし、物語にはいつも続きがあり、語り手のなかに、聴き手のなかに、さらなる未来を手繰り寄せている。

 

特別演奏会 ラヴェル:歌劇「子どもと魔法」(演奏会形式)
2025年11月15日(土)14:00 東京オペラシティコンサートホール

指揮:ジョナサン・ノット
子ども:小泉詠子
お母さん、中国茶碗、とんぼ:加納悦子
肘掛椅子、木:加藤宏隆
柱時計、雄猫:近藤圭
安楽椅子、羊飼いの娘、ふくろう、こうもり:鵜木絵里
火、お姫様、夜鳴き鶯:三宅理恵
羊飼いの少年、牝猫、りす:金子美香
ティーポット、小さな老人、雨蛙:糸賀修平
合唱:二期会合唱団
合唱指揮・指導:キハラ良尚

ドビュッシー:「夜想曲」よりシレーヌ
デュリュフレ:3つの舞曲 op.6
ラヴェル:歌劇「子どもと魔法」(演奏会形式)(字幕付き)

【11月4日掲載】SPICE:子どもの目覚めをめぐる“ファンタジー・リリック” ジョナサン・ノット & 東京交響楽団『子どもと魔法』上演