東京交響楽団

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エッセイ:ミケーレ・マリオッティが世界から注目される理由/演奏会プログラムSymphony6月号掲載

公演に先駆けて、プログラム冊子6月号に掲載されるエッセイをWEBにて先行公開いたします。



マリオッティ



ミケーレ・マリオッティが世界から注目される理由



香原斗志(音楽評論家)



つかみとって再現する天才に恵まれ



 待ち焦がれていた日がようやく訪れる。ミケーレ・マリオッティが東京交響楽団を指揮する。2020年12月に定期演奏会へ出演する予定だったが来日できず、コロナ禍の厳しい状況下ではあったが、肩を落としたものだった。なにを隠そう、マリオッティは目下、私がいちばん好きな指揮者だから。



 数年前、イタリアでインタビューした際、日本のオーケストラは指揮しないのか尋ねると、いくつか話はあって予定が合わなかったが、タイミング次第では指揮したい、と話していた。いったん流れながら、リベンジがなることをよろこびたい。



 マリオッティが指揮する音楽をはじめて聴いたのは2010年8月、イタリア中部のペーザロにおけるロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルで、《シジスモンド》というロッシーニ初期のオペラ・セリア(正歌劇)だった。じつは、私は少しも期待していなかったが、それには理由があった。当時、音楽祭の総裁はミケーレの父、ジャンフランコ・マリオッティ氏だった。私は情実人事がまかり通っていると思い込んだのである。



 ところが聴いて驚いた。徹頭徹尾、音楽が息づいていた。テンポは変化を繰り返し、その絶妙な緩急は、スコアには明記されていない作曲家の感性と見事に照応しているとしか思えない。興が乗って曲を書き進める作曲家の息遣いや鼓動が表現されているかのように活き活きとし、細部にまで神経が行き届いている。



 2015年に同じフェスティヴァルで聴いた《湖上の美人》では、湖水や水蒸気の存在が感じられたので驚き、本人に聞くと「この音楽のなかには水が存在し、波がうねるような状態にもなる。それを表現しようとしている」と語った。スコアを読み込み、台本を研究し、作曲家の訴えを深いところでつかみとる。しかし、才能がなければ、つかみとったものを再現できないが、マリオッティにはできる。



 



曲に内在する生命を引き出す



 ペーザロで育ち、幼少期から夏は音楽祭の会場ですごしてきたというマリオッティ。南伊ペスカーラの音楽院でドナート・レンゼッティに、続いてペーザロの音楽院で指揮を学んだ。その後、ダニエレ・ガッティの後任として、20代でボローニャ歌劇場の首席指揮者、続いて音楽監督のポストを得た。イタリア以外で本格的に学んだ経験はなく、「音楽への情熱はペーザロで育まれ、キャリアはボローニャで築き上げられた」と語る。



 だから、マリオッティが指揮する音楽に宿る圧倒的な生命力は、特別な学びの成果というより、天才が自然に引き出されたものではないかと感じる。



 たとえばヴェルディのオペラ。2018年、トリノ王立劇場で《第一次十字軍のロンバルディア人》という初期の作品を聴いたが、未熟だといわれるヴェルディの若書きのオーケストレーションが、どれだけ豊かな表情を宿したことか。前奏からロマン主義的な情趣がみなぎって、旋律にも一音一音にも品位があり、強弱が適切につけられ、それぞれの楽器の音が際立ったうえで複雑に織り上げられている。結果として、力強さも情感も音楽の奥底から湧き上がってきた。



 マリオッティは「いつもスコアに書かれているとおりに演奏しようと心がけている」と語り、冷静で恣意を排除し、前のめりになることがない。すでに存在する曲の姿は「そうあるべきものだ」と考え、曲に内在する生命を引き出す。



 もっとも、書かれたとおりに演奏するだけでは音楽に表情が生まれないし、生命も引き出せない。マリオッティは作曲家が、そのオーケストレーションを通じてどんなドラマを構築したかったのか、作曲された当時、それをどう表現するのが一般的だったのか、徹底研究して音楽を構築する。だが、音楽がもつ生命があのように再現されるためには、研究は不可欠だが天才も必要である。



 



時代に通底する空気感を引き出す



 事情はもちろん、管弦楽曲を指揮するときも変わらない。曲に真摯に向き合った結果、時代精神を浮上させ、そのなかに作曲家の魂を再現する、と言ったら大げさに聞こえるだろうか。



 トリノでシューベルトの交響曲第4番《悲劇的》を聴いて、この作品がロッシーニのオペラ・ブッファ《ラ・チェネレントラ》と同じ年に完成したことを強く意識させられた。調性も《悲劇的》という題名もブッファの世界とは縁遠いようで、ロマン主義の萌芽が感じられる点も、軽やかなリズム感も、ときに愉悦感さえ覚えるクレッシェンドも、同じ時代に産み落とされた音楽であることを強く感じさせられた。



 誤解がないように断っておくと、似た音楽に聴こえたのではない。描かれているのはまったく違う世界であって、見事なシューベルトを聴いた満足感の底で、ロッシーニとの共通点、すなわち同じ時代に通底する語法や空気感を強く感じたのである。



 マリオッティの指揮する音楽は、いつも精妙で、息づいている。その音楽が誕生したときの生々しい息づかいが宿っている。昨年、ローマ歌劇場の音楽監督に就任したが、それ以前から世界が注目している。その理由は明らかである。



 同じシューベルトでも交響曲第8番「グレイト」はどう聴こえるか。また、マリオッティが「一番好きな作曲家」というモーツァルトは……。この演奏会が語り草になることはまちがいないと、私は信じて疑わない。



 



6月定期



第711回 定期演奏会

2023年6月24日(土)18:00開演(17:15開場)

サントリーホール



川崎定期演奏会 第91回

2023年6月25日(日)14:00開演(13:15開場)

ミューザ川崎シンフォニーホール



指揮=ミケーレ・マリオッティ

ピアノ=萩原麻未



モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調

シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調「ザ・グレイト」



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