今週末に迫る第669回定期演奏会にて、アンドレ・ジョリヴェ《赤道コンチェルト》が演奏されるにあたり、1956年6月に当団プログラム「シンフォニー」にて掲載された「ジョリヴェ ピアノ協奏曲の初演騒動見聞記」を特別公開致します。
63年前に東京交響楽団が初演したアンドレ・ジョリヴェ《赤道コンチェルト》。当時のプログラム「シンフォニー」にて、園田春子氏のエッセイには、黛敏郎も興奮したパリでの世界初演時の騒動が記されています。本日はその一部を特別公開致します。公演前に是非ご覧ください。
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ジョリヴェ ピアノ協奏曲の初演騒動見聞記 園田春子 (筆者・作曲家・園田高弘氏夫人)
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この曲の正しい意味の初演は、すでにストラスブールの音楽祭で行われていたが、巴里での初演は1951年11月25日、毎日曜日シャトレ座で行われるコンセル・コロンヌの定期演奏会に於いてであった。
指揮はアストン・ブーレ、ピアノはストラスブールの時と同じく、リュセット・デュカーヴで、この日コロンヌ演奏会は珍しく満員の盛況だった。恐らく、前の初演の評判によってこの曲に対する興味がこの日を満員にさせたのだったと思う。私は巴里に着いて二ヶ月にもならない時で、その事を全然知らずにいた所、幸い黛敏郎氏に教えられて出掛けた様な訳だった。
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一楽章が済んだ時、誰が口火を切るということもなしに一瞬の内に、口笛や床をふみならす音、叫び声などが起った。私には始め何が起こったのか分からなかった程に、それは突然起り、人から人へと伝わって、二楽章の演奏を続けることが困難な程の混乱状態に陥ち入ってしまった。そこでギャストン・ブーレは後ろを向いて、ジェスチャーでようやく彼の声が聴えるまでに聴衆を鎮め『この曲に対する批評は、全楽章をきいた後にしてもらいたい』という様なことを言わなければならなかった。そこで又ワァーと拍手が起り、演奏が再開された。
二楽章は無事に終わったが三楽章になってから再び平静さは破られ、騒がしくなって来た。この曲に用いられた数々のプリミティヴな打楽器の音を揶揄して“私もオーケストラの一員だ”という様なことを口走りながら、床をふみならしたり、所持品で椅子を打ったりし始めた人が出て来た。勿論それに対して“静かに!”とか“シーッ”という声も終始やかましくなり続いたので、三楽章の後半は混然たる騒音の内に終わったとも言える程であった。
この後の騒ぎは言うまでもなく、次の曲が始まるまでの休憩の間約10分以上も続いていたろうか。作曲者アンドレ・ジョリヴェが、この日初演の時の習慣通りに聴衆席に姿を見せていたかどうか、私の席からは見えなかったが、その人らしい人の周囲で特に騒ぎが起こっていた様だった。積極的な意見の持ち主が隣合せの席であるとその応酬は華やかなもので、顔を真赤にして興奮した人が怒鳴り合っている姿も見えた。同行した黛氏も、勿論賛成者として、相当活発なジェスチャーを交え、何かを口走って興奮していられた。
この巴里初演の時の騒ぎは、ざっと以上の様なものである。
東京交響楽団 演奏会プログラム「シンフォニー(1956年6月号)」より抜粋
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上の写真)東京交響楽団 演奏会プログラム「シンフォニー(1956年6月号)」ジョリベ本人のイラストが表紙を飾っている。
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【公演情報】
「第669回 定期演奏会」
<日時・会場>
2019年4月21日(日) 14:00開演 サントリーホール
<出演>
指揮:秋山和慶
ピアノ:藤田真央