7月オペラシティ・7月定期特集
事務局長が語る 音楽監督ジョナサン・ノットとの4ヶ月

コロナ禍による影響と「映像ノット」

音楽監督ジョナサン・ノットとの4ヶ月© T.Tairadate

ジョナサン・ノットは諦めが悪い。

3月16日、それまで有効だったビザが一旦全て無効となり、それ以降の海外アーティストの来日が危ぶまれた。緊急事態宣言も発動されていなかったこの時点では、4月以降にあれだけの感染者を出すとは正直想像していなかった。多くのオーケストラや音楽事務所は、4月に予定されていた海外アーティストの招聘を諦めたのだが、我々のケースは少し違っていた。
ノット監督からは、「我々の音楽を、観客の有無に関わらず、配信であったとしても聴衆の方々に届けられる可能性が少しでもあるのであれば、来日のために最大限の努力を惜しまない」とのメールが舞い込んだ。これまでのビザが無効になるのであれば、もう一度取り直せば可能性はある。事務局の担当の廣中君から、在ロンドン日本大使館に連絡をとり、嘆願書に山ほどの資料を添えて送り、時差があるため連日日付が変わる頃まで交渉を続けた。到着後は14日間の待機が必要とされることとなり、その間公共交通機関の使用も禁止、ホテル側からはルームサービスのみの対応で、3日毎に部屋を変わり清掃・消毒対応する必要があると言われたが、ノット氏は「一切厭わない」と言う。可能性が「ゼロ」にならない限り、諦める様子は一切なく、全てのやり取りは来日する前提で当然の様に話される。これこそ「腹を括る」と言うやつだと思った。
しかし、3月31日、最後の最後に、イギリスが入国拒否国に分類されて来日を取りやめる以外の方法がなくなった。とても残念だったが、これ以上やれないところまでやったと言うある種の満足感はあり、ノット氏もここに至って来日を断念した。最大限の努力をした後は、諦めるのも非常にさっぱりとしていて、この人の生き様を垣間見た気がした。同時に、この人と付き合うには、こちら側にもある種の覚悟が必要だと改めて痛感した。もっとも、ノット氏とくぐり抜けてきた道が平坦だった覚えは殆どない。描いた通りにはいかないデコボコ道を、彼の異様なほどの強い精神力に後押しされ、いつもボロボロになりながら疾走してきた。

現状はと言えば、この数日後に日本も緊急事態宣言が発令され、全ての公演は中止・もしくは延期、当団も事務局を含め全ての業務を一旦休止することとなってしまった。

音楽監督ジョナサン・ノットとの4ヶ月© T.Tairadate

5月に入ってから、聴衆の皆様や楽団員へ向けてのビデオメッセージをと問い合わせた。返事はシンプルで、とても強いものだった。「そのメッセージの前にやることがあるだろう、コロナをどうやって切り抜けるのか、コロナ後にどの様なヴィジョンでやっていくのか、まずは本気で話し合い、ブレインストーミングをやるべきだ」という内容の、長く強いメールだった。「皆さんお元気ですか~、ステイホームしましょうね~」と言った甘い言葉はどこにもない。
以前にノット氏が「こんな素晴らしいベートーヴェンをこの愛するオーケストラと演奏できたのだから、今すぐ死んだとしても一切悔いはない」と喋っていたことを思い出した。彼は音楽を糧として生きていて、本当に真剣勝負だけを重ねて生きている。楽しい時は、本当に根の優しい人だが、スイッチが入った時の雰囲気はまた一味も二味も違う。こちらの努力も欠かせない。公演の延期の日程調整、中止となった依頼公演の補償交渉、助成金や各種の補助金申請の合間をみては、長いメールのやり取りを数日間繰り返した。

緊急事態宣言も解除され、次第に再開の目途もたってきた。と同時に、7月に予定されている公演の実施の可否が問われ、それは最終的にはビザが発給されるか否かにかかっていた。ジョナサン・ノットは諦めが悪い―――再び間際まで頑張ることとなり、手を尽くしたが、大変残念なことに今回もビザが発給されず、来日不可能。代役を依頼しようかと思っていたところにノット氏から発案されたのは、リモート指揮による演奏だった。複数の専門業者にリサーチしたが、問題が発覚した。指揮する姿をモニターにライブで映し出し、それを見ながらオーケストラが演奏するには時差が生じてしまう。それはコンマ数秒ではなく、3~5秒くらい。これでは指揮者は実際の演奏を聴きながら演奏することはできない。やはり無理だと落胆して連絡を入れたところ、びっくりする返事が返ってきた。

「ベートーヴェンが第九を自ら指揮した時、彼は既に耳が聞こえなかった。ブラボーの声にも気づくことなく、歌手に言われて初めて聴衆に振り返った。私はやれると思う」。

えー、演奏を聴かずに指揮しちゃうんですかぁ?と驚き、慌て、少し呆れもした。普通に考えるなら、フルトヴェングラーの指揮姿を見て演奏しても、当時のベルリン・フィルの演奏にはならない。当たり前だ。でもひょっとして、フルトヴェングラーの時代に、その指揮で長年演奏していた奏者が、フルトヴェングラーの映像を見て演奏したら、もう少し事態は違うのではないか?とも思いはじめた。ノット氏と長年やってきた我々ならば、彼の少しの動きも見過ごさずに反応できるのではないか。
それから、どうしたら音楽的に少しでも充実したものにできるか相談を始めた。正直に話すと、ノット監督も一旦「できる」と言ったものの、当然ライブでの指揮の方が良いことは分かり切っている。また、スケジュール的な(時間が少ない)こともネガティブ要因の一つであった。散々悩み紆余曲折(その波も相当なものでしたが!)した挙句、チャレンジしてみることで話が付いた。コロナ禍にあって、苦渋の決断を何度も行ってきたが、それとは少し違う種類の決断だった。

早速、コンサートマスターの2人に相談をした。ここで、とても意欲的な話を聞くことができた。

音楽監督ジョナサン・ノットとの4ヶ月
©T.Tairadate

水谷氏曰く、「指揮の映像はリハーサルでは殆ど見ないようにしたいので、入手が遅れても問題ないです。今回は我々だけでどこまで音楽を作れるか、良いチャンスです。映像に合わせるリハーサルはやりません。彼のスコア(総譜)をもとに、我々で音楽作りをして、本番だけ映像見るくらいのイメージで十分ですよ。だっていつもそうじゃないですか。監督は細かいところまで徹底的にリハーサルしておいて、いつも本番は全く違うことを指揮して壊しに来る。空中分解するかも知れないギリギリを楽しみます。Take a riskですよ」。

ニキティン氏曰く、「これは監督がいなくても、監督のコンサート。監督の書き込み付きのスコアを借りて欲しい(これがあれば監督の意図はかなりの割合で分かる)。すべてのリハーサルにはアドヴァイスを貰って欲しい。あとオーケストラ全員にスコアを渡しておいて欲しい。」と、前向きでやはり映像を早く入手したいとは言われない。

賛否両論は必ずある。叩かれるかもしれない。勿論本流ではない。でも何か生まれるのではないか、と思えてきた。元々、ノット氏と平坦な道なんて通ってきたつもりは無い。よし、ここはテイク・ア・リスクだ!きっと聴衆の方々もジャーナリストも、ワンテイクの映像を何度も見て練習すると思っているだろう。いっそリハーサルと本番で楽員にも内緒でテイクを変えてやろうか……。ワクワクし始めて、腹を括ることができた。結果は後のお楽しみだが、2人の頼もしいコンサートマスターにお礼を言いたい。

音楽監督ジョナサン・ノットとの4ヶ月
©T.Tairadate

そういえば、5月にあれこれブレインストーミングをやっている時に、ノット氏から良い言葉を教えてもらった。Never let a good crisis go to waste.(良き危機を無駄にするな)第二次世界大戦後の復興の際にチャーチルが残した名言だ。

文:辻 敏(東京交響楽団事務局長)

▼公演情報