6月定期/川崎定期で東京交響楽団デビュー
快進撃を続けるイタリアの若手「三羽烏」のなかで最も多才
ダニエーレ・ルスティオーニにインタビュー!香原斗志 Toshi Kahara(音楽ジャーナリスト)
開演前にインタビューするはずだったのだが、連絡の行き違いがあって、ダニエーレ・ルスティオーニは約束の場所に現れなかった。翌日にチューリッヒを発たなければならなかった私は焦って、オペラがはけるとすぐに楽屋口に回った。ルスティオーニはちょうどドアの向こうから現れて、私の顔を見ると、不義理をしてしまった日本人だとすぐわかったらしく、こちらが恐縮するくらい頭を下げ、疲れきっているであろうに、そこからのインタビューに応じてくれた。
気さくで、腰が低く、繊細な心遣いができる人だった。
その晩、ルスティオーニが指揮したのはロッシーニのオペラ《ランスへの旅》。2014にイギリスの国際オペラアワードで「最優秀オペラハウス」に選ばれたチューリッヒ歌劇場への、ルスティオーニのデビュー公演だ。実は、12年に私が彼の指揮に初めて触れたのもロッシーニのオペラだった。イタリアのペーザロでの《ブルスキーノ氏》で、このとき現地の新聞評を読み、彼がイタリア人の若手指揮者“三羽烏”の一人と目されていると初めて知った。1983年生まれだから、そのときまだ20代だったが、ロッシーニ作品の古典的な様式感をしっかり押さえつつ、躍動的な音楽を作っていたことに驚かされた。そして、同じ年の秋にもういちど驚かされることになった。ミラノのスカラ座でプッチーニの《ラ・ボエーム》を聴いたのだが、こちらはきわめてロマンティックなスタイルで、青春群像を活き活きと描いていたからだ。この指揮者には様式を描き分ける絶対的なセンスが備わっているな!と、強く印象づけられた。
ちなみに“三羽烏”の残りだが、一人はボローニャ市立劇場の首席指揮者などを務めるミケーレ・マリオッティ(36)。ロッシーニの生地である前出のペーザロ出身で、父親が同地のロッシーニ・オペラ・フェスティバル総裁だ。ロッシーニが得意なのと同時に、ベッリーニなど初期ロマン派の色彩感を表出するのに非常に長けている。もう一人はアンドレア・バッティストーニ(28)。東京フィルや東京二期会でも活躍し、オペラならヴェルディやプッチーニ、ヴェリズモの諸作品が得意で、交響曲の指揮でも強力な統率力と推進力で、聴き手に圧倒的な印象を残している。
一方、2017年からは大野和士の後任としてリヨン国立歌劇場の音楽監督への就任が内定しているルスティオーニは、ほかの二人にくらべてレパートリーが広く、偏りがない。しかも、それぞれの音楽が由来するスタイルを見事に描き分ける。その能力は、どのようにして習得されたものなのだろうか。
サンクト・ペテルブルクでの2年間で
―東京交響楽団の定期演奏会へのデビューは、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と、チャイコフスキーの交響曲第6番というロシア音楽のプログラムである。イタリアの若者がいったいどうしてこの選曲なのか。まずはそれを尋ねた。「私は08年と09年の2年間、サンクト・ペテルブルクのミハイロフスキー劇場の首席指揮者を務めましたが、実は同じ広場に、ユーリ・テミルカーノフが率いるサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団があったんです。ロシアの空気を吸いながらテミルカーノフが指揮するロシアの交響曲を数多く聴くなかで、私自身がロシアのレパートリーを数多く指揮するようになりました。ですから、私は演奏会では可能なかぎりロシアのレパートリーを入れるようにしています。完璧な音楽家はドイツやロシアの交響曲も指揮するものです。またリヨン国立歌劇場の音楽監督にも就くので、フランスものも大切。つまりイタリア、ドイツ、ロシア、そしてフランスも指揮できなければなりません」
―では、ルスティオーニが解釈するロシア音楽とは、どのようなものなのだろうか。
「東京交響楽団で指揮する曲目は、ショスタコーヴィチが35分くらい、チャイコフスキーが50分くらいと長い。その長い曲をひとつのまとまりに保つのが難しいんです。私の考えでは、ロシア音楽は1曲1曲が丸く調和がとれていなければいけない。ラプソディのように異なる曲のメドレーであってはダメで、全体が混沌としているようでいながら、丸くまとまっている必要があります。そうするためにトロンボーンやチューバの音を、時に柔らかく、時に強く響かせるのが難しいんです」
―だが、ひと口にロシア音楽といっても、作曲家の個性や作曲された時代ごとに様式感は異なる。ルスティオーニは、そうした差異対しては非常に敏感である。
「チャイコフスキーの交響曲6番にはプッチーニの《ラ・ボエーム》のようなロマンチシズムが横溢しています。一方、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲は演奏至難な20世紀音楽。私は今回、このような非常に重要なレパートリーで、東京交響楽団のようなすぐれたオーケストラにデビューできることがとてもうれしい。こうした様式の違いを指揮者が描き分けるのを、日本の聴衆に聴いてもらうのが私にとっては大切なのです」
―そのとき、「ショスタコーヴィチは彼女がヴァイオリンを弾きます」と紹介してくれたのが、ともに楽屋口から現れ、ここまで同伴していた女性だった。フランチェスカ・デゴ。ドイツ・グラムフォンと契約した期待の美人ヴァイオリニストは、結婚して間もないルスティオーニの伴侶だったのだ。
ほかの2人より多岐にわたる音楽経験
―ルスティオーニに、前出の“三羽烏”について聞いてみた。「イタリア人の指揮者で、3人の、すぐれた……」と問うと、彼はすかさず「そして若い、でしょ?」と継いで、ほかの二人とくらべての自身の特徴は、音楽経験が多岐にわたっていることだと、こう語りはじめた。
「私は15歳で、生まれ故郷のミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院に入って学びましたが、それ以前からスカラ座には頻繁に出入りしていました。7歳か8歳のとき、合唱団員の母にスカラ座の合唱のオーディションを受けさせられ、以後、7~8年間をスカラ座ですごし、いつもリッカルド・ムーティが指揮するオペラを観て育ちました。ちなみに、スカラ座で初めて教わったのは、ブルーノ・カゾーニ。いまのスカラ座の合唱監督です。私の音楽への情熱は、こうして劇場のなかで生まれたのです。一方、ピアノも学んでいて、小さいときには父が歌うビートルズをピアノで伴奏していたのを覚えています。ヴェルディ音楽院を卒業後は、シエナのキジアーナ音楽院でジャンルイージ・ジェルメッティの下で学び、続いてロンドンに渡って、ロイヤル・オペラでアントーニオ・パッパーノのアシスタントを務めた。ロンドンではジャナンドレア・ノセダからも学びました」
―それ続き、先述のようにロシアにおける経験があるわけだ。 一般に、海外での生活や学習の経験が豊富な人のほうが、文化の普遍性を認識するとともに国や地域ごとの差異に敏感で、祖国の文化に対しては、それを客観視したうえで尊重できる場合が多い。その結果のひとつとして、音楽の様式に敏感になるのだろう。ルスティオーニ自身、そのことは自覚しているようだった。 彼が過去に来日したのは2014年4月。このとき指揮した東京二期会におけるプッチーニの《蝶々夫人》では、2時間余におよぶ作品の全体像を俯瞰し、その構造をしっかり見据えたうえで、オーケストラから稀にしか聴けないほど澄んだ音を引き出し、物語を雄弁に語らせていた。そこでは楽曲を構築するプロセスも、響きの導き方も、グローバルな基準にもとづいているように感じられたが、それでいて、旋律が美しく彩られ、そこにはまごうかたなきイタリアのカンタービレが満ちていた。
「イタリアの伝統的なオペラを指揮するのと、ロシア音楽を指揮するのとでは、たしかに方法は違います。とはいえ、いずれも音楽という普遍的な言葉であるという点では同じなのです」
―そう語るルスティオーニが、東京交響楽団を通じていかにロシアを表出するか。楽しみでならない。