「川崎定期演奏会 第88回」「第705回 定期演奏会」にて演奏する、「ブルックナー:交響曲 第2番(ノーヴァク版 第2稿)」は、音楽監督ジョナサン・ノットの強い希望により、第1稿に準じた楽章順で演奏することとなりましたのでお知らせいたします。
公益財団法人 東京交響楽団
Ⅰ.モデラート
Ⅱ.スケルツォ:適度に速く
Ⅲ.アンダンテ
Ⅳ.フィナーレ:急速に
ブルックナーの交響曲 第2番について
音楽監督 ジョナサン・ノット
まず疑問に思ったのは、楽章の順番です。ベートーヴェンの第九は、その後の交響曲の作曲家たちに多大な影響を与えました。第九の構成について、ベートーヴェンは、4分の4拍子の第1楽章に続き、同じ動機(モチーフ)を使った4分の3拍子のスケルツォ、そして緩徐楽章という形をとっています。ブルックナーはこの例に倣い、より伝統的な順序に戻ることを決めたのだ、と私は思います。
1872年版(第1稿)を見ると、ブルックナー2番はスケルツォが2番目にあり、それが特徴の一つだと分かります。そして、(ハイドンやモーツァルトの交響曲のような)スケルツォとトリオを繰り返すという、いわゆる「ブルックナー・トラディション」を守るべきだと考えたのです。2人の古典作曲家のように、それらを常に繰り返すことは私自身好みませんが。
それから、1872年版(第1稿)と1877年版(第2稿)のどちらのテンポ記号を使うべきか。それについては、ブルックナーがどのような表記を使ったとしても、違いはないと思います。1872年版の緩徐楽章アダージョ(2分音符)は、1877年版のアンダンテ(4分音符)と同じ速さです。ブルックナーの第7番が2分の2で書かれているのにアレグロ・モデラート(4分音符のこと)であるのと同じことです。
1872年版はオーケストレーションについてもなかなか特殊で、ブルックナーは初演を聴いた後に変更したという経緯があります。こういった決定がなされたのは、オリジナルのアイディアが当時の演奏家には難しすぎたからでしょう。私は1872年版のアイディアを残すことにしました。つまり、緩徐楽章はソロホルンで終わるのです(1877年版のようにクラリネットではありません)。この楽章の第2部の明確な主役はソロホルンでしたから、楽章をソロホルンで終わらせるという理屈が、より簡潔で、より強く心に響くのです。フィナーレの展開部の素晴らしいトロンボーンの第2主題は、同じ理由で1877年版では削除されました。ここも残しておきたい。
しかしながら、1877年版には、(作曲家としてのブルックナーの成長を示す)重要だと感じられる点もいくつかありました。ブルックナーはポリリズムを好むようになり(1873年版の交響曲第3番が、リズムが複雑であることにも注目)、たとえば緩徐楽章の第4部では5音と6音を組み合わせたリズムが用いられています。これを楽しめないのはもったいないと思いました。
また、ブルックナーは1877年の再演の際に、1872年版のマテリアルの一部を短縮しています。第1楽章のコーダが短くされているのです。短くしたことで、この楽章のドラマツルギーがより簡潔なものになったと感じています。同じ理由で、私はフィナーレの展開部で1873年版の“新しい素材”を短縮したものを使用することにしました。フィナーレのコーダでは1872年版のコラールの再演(ヘ短調ミサのキリエからの引用という重要度の高い引用)をカットしました。それもまた、ドラマツルギーをより一層集中させるものだと思うのです。「主よ、憐れみたまえ」は、この交響曲の中で一度しか出てきません。
しかし、最初の3つの楽章について、1872年版からの引用を削除したことは、残念なことだとも思いました。ベートーヴェンの第9番で最も印象的な構造的要素は、フィナーレでそれまでの楽章のテーマ(感情や哲学的ジレンマ)へ立ち戻る“再訪”です。「人生の試練や苦難はすべて克服できる」という最終楽章の揺るぎない断言——。ブルックナーの第3番の初版を聴きながら人生の大半を過ごしてきた私にとっては、1877年版の第2番に (まったく同じ手段を利用し想起される) “再訪”の要素がないのが寂しいのです。
October, 2022
●川崎定期演奏会 第88回
2022年10月22日(土)14:00開演(13:15開場)
ミューザ川崎シンフォニーホール
●第705回 定期演奏会
2022年10月23日(日)14:00開演(13:15開場)
サントリーホール
指揮=ジョナサン・ノット
シェーンベルク:5つの管弦楽曲 op.16
ウェーベルン:パッサカリア
ブルックナー:交響曲 第2番 ハ短調
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