7月定期・川崎定期演奏会プログラミングを解く!
音楽で辿る近代史の終着点として~7月定期プログラミングを巡る試論

音楽監督ジョナサン・ノットと東京交響楽団の定期演奏会は、聴衆の思考を刺激するような考え抜かれたプログラムが組まれてきた。今年度の中でも出色のプログラムと言えるのが、7月の定期演奏会と川崎定期演奏会である。演目はこの4曲(年号は作曲年)。

J.シュトラウスⅡ:ワルツ「芸術家の生涯」 1867年
リゲティ:レクイエム 1965年
タリス:スペム・イン・アリウム(40声のモテット) 16世紀中頃
R.シュトラウス:交響詩「死と変容」 1889年

優雅で楽しいワルツ、現代音楽の魅力をすばらしいソリストと好調の合唱団との共演で味わえる鮮烈なレクイエム、リゲティにも通底していく複雑さと無限の美をもつルネサンス期のタリス作品、そして見事なオーケストレーションを楽しめる感動的な「死と変容」――絶好調のノットと東響の演奏で、クラシック音楽の多面的な魅力を堪能することができる好プログラムである。

本稿はこのプログラムの意図をさらに読み解いていこうというものだが、実はすでにノット自身がこの公演について当ホームページ内の記事、「音楽監督ジョナサン・ノット 7月演奏会を語る」でコメントを残している。さらに何かを語ろうとするのは屋上屋を架すような行為ではあるが、聴衆の知的好奇心を刺激し続けてきたマエストロなら多様な発想を歓迎するものと信じ、いくつかのアプローチからヒントを探ってみたい。

まず、今回の4人の作曲家のうち、タリスを除いた3人の組み合わせと言えば、映画《2001年宇宙の旅》が浮かぶ方も多いはず。意外な音楽の組み合わせが、映像と共に絶妙な効果を生んでいたことは周知の通り。

また、ノットは2016年4月にはリゲティ+パーセルにR.シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語り」というプログラムを実現している。さらに、ノットの名プログラムとして語り草となっているもののひとつが、2015年11月定期のリゲティ+J.S.バッハ+R.シュトラウス+ショスタコーヴィチという組み合わせである。少なくとも「リゲティ&R.シュトラウス」は、ノットにとっては節目に取り上げる勝負レパートリーと言うこともできそうだ。

100台のメトロノーム2016年4月オペラシティシリーズ。神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団(左上)のパーセルと、リゲティの組み合わせ。

100台のメトロノーム2015年11月定期にて。リゲティ《ポエム・サンフォニック》で使用された、100台のメトロノーム。

さらに、「一つひとつの演奏会は、シーズンという大きなストーリーのチャプター(章)としてつながっています」とはノット自身の言葉だが、昨年からのノット指揮の定期演奏会の演目を見ていると、もっと大きな背景――音楽、ひいては芸術家と近代の(政治的な)歴史の関連を辿るようなメッセージも感じられてならない。ここではあえて、欧州のシーズン期間である“秋から翌年夏まで”という区切りで見ることで、このプログラムを巡るひとつの試論を提示してみたい。

2018年11月
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 1881年
ラフマニノフ:交響曲第2番 1906~07年
2018年12月
ヴァレーズ:密度21.5 1936年
ヴァレーズ:アメリカ(1927年改訂版) 1918~21年
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 1898年
2019年5月
ブリテン:ヴァイオリン協奏曲 1939年
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 1937年

上記、昨年秋からノットが登壇した3回の演目と作曲年。

昨年11月はブラームスとラフマニノフの名作プログラム。19世紀から20世紀初頭は、各国で様々な芸術観があらわれ、激しい論争も絶えなかったが、大枠では芸術表現の自由があった“健全な”時代と言えるだろう。しかし、後にこのふたりの母国、ドイツとロシアでは、芸術表現を理由に国家から処罰されるという未来が来ることになる。

続く12月は、R.シュトラウスが自身を題材にした「英雄の生涯」。「英雄≒芸術家」という自意識を、自嘲を込めて描写しているような側面もある本作で、19世紀の拡大化したオーケストレーションと、芸術と個人の関係や価値観が象徴される。

目立つのは前半のヴァレーズ作品。特に、1914~18年の第一次世界大戦を経てから作られた「アメリカ」は重い選曲だ。初めて大量殺戮兵器が使われた戦争で、一瞬で桁違いの犠牲者が出てしまう圧倒的な現実。さらに、大戦を契機として4つの帝国が崩壊していく。それまでの価値観は激変し、多くの芸術家にも多大な影響をもたらした。大戦から逃れる形でフランスからアメリカに移ったヴァレーズもそのひとりである。彼がこの時期の作品で激烈な大音響に込めた思いは何か。

そして、今年最初のノットの定期は5月。ソヴィエト当局の批判を受け、スターリンの大粛清の真っ只中という時期に、自らの芸術家人生を賭して作り上げたショスタコーヴィチの交響曲第5番。第二次世界大戦開戦の時期に書かれたブリテンのヴァイオリン協奏曲。いずれも当時の世界的な「恐怖」を背景とする名作である。その後ショスタコーヴィチは、生涯を通じて自国体制との関係に苦しみながら創作を続けていくことになる。

2019年5月、第670回定期演奏会にて2019年5月、第670回定期演奏会にて、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

こういった流れを踏まえた上で、改めて7月の演目を考えてみるとどうだろうか。J.シュトラウスⅡ「芸術家の生涯」は、キーワードとなる「芸術家」「生涯」を示しながら、19世紀に流行したワルツで、音楽と人生の喜びを浮かびあがらせる。しかしそれに続くのは、約100年後に作られたリゲティ「レクイエム」。世界規模の大戦、大量殺戮、ユダヤ人の虐殺、国家が自国民を抑圧して粛正する恐怖……20世紀前半に起きた理不尽なことをすべて受け止めるかのように、地の底を這うような低声の蠢きから女声の超絶高音まで、強烈な音響に満ちた鎮魂曲が奏でられる。ユダヤ人のリゲティ自身も家族の多くを強制収容所で亡くし、1956年にはハンガリー動乱の直後にウィーンに逃れて亡命するなど、体制に翻弄されたひとりだった。

ここまででも近代史をたどるこの1年間の旅は成立するが、ノットはさらにそこにメッセージを加える。「ラクリモーサ(涙の日)」で終わるリゲティ作品を補完するかのように歌われるのは、一気に400年近く時空を遡るタリス作品。その「神を信じる」という思い、40声部もの複雑な声の響きは、国も時代も超越するような悠久の感覚を体験させてくれるだろう。

そして、全てをまとめるのが、R.シュトラウス「死と変容」。死の後の浄化(変容)を真摯に描いた傑作である。作曲者が考えたストーリーは、「ある芸術家が死の床にあり、病魔との闘いと人生の回想を繰り返す。ついに芸術家の魂は肉体から離れて天に召され、浄化されていく」というもの。本作にも「芸術家」「生涯の回想」「死の恐怖との闘い」という要素があらわれるが、ここでついに「浄化」に達するのである。単独で演奏されても十分に胸に迫る作品だが、ここまで重層的な意味合いを受けて演奏される機会は稀少なはず。全てを超えて達した最後のハ長調の和音が、かつてないほどの重い感動を帯びて会場を満たすのではないだろうか。

以上はひとつの試論に過ぎないが、何らかの発見のヒントになるようであれば幸いである。いずれにしても、この7月の公演は、知性と感情が最高の水準でリンクして深く満たされるという、新しい次元のコンサート体験になるに違いない。

文:林昌英(音楽ライター)

公演情報

《音楽監督ジョナサン・ノット 対談シリーズ⑦》
音楽監督ジョナサン・ノット 7月演奏会を語る

ジョナサン・ノット