チェロ:エリック=マリア・クテュリエ インタビュー【1】|東京オペラシティシリーズ第109回 特集

エリック

私がはじめてピエール・ブーレーズの指揮に触れたのは、私が所属していたパリ管弦楽団が、バルタバスとその驚くべき馬たちとコラボレーションの機会を持ったときでした。ストラヴィンスキーの「春の祭典」。それは、まさに忘れらない体験でした。ピエール・ブーレーズの手の動きはしなやかで、限りなく上品で生命力にあふれたものでした。ダンサーの所作のようであり、私に催眠術を掛けられたような思いになったのを覚えています。

ある時期、私はパリの喧騒から離れてボルドーのオーケストラで仕事をしていました。でも、挑戦したい気持ちが満たされていないのを感じていました。そこでアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロ・チェリストのオーディションを受けることにしたのです。最終選考で二人に絞られたのですが、残った相手は現代音楽のスペシャリスト。私はクラシックからやってきた奏者でした。現代音楽の知識が十分でないため、私は求められた条件を完全には満たしていませんでした。しかし私の奏でる音をピエール・ブーレーズとアンサンブルの他の奏者たちが気に入ったのです。特例として、私とその残った相手の二人だけに再度オーディションをすることになりました。そして私は30歳のときにアンサンブル・アンテルコンタンポランに入ることができたのです。

ピエール・ブーレーズといえば、その超人的なまでに細部にこだわる“耳”です。「レポン」は例えば対位法を駆使した複雑なライン、一枚板のようなリズムのまとまりで構成された壮大な曲です。いくつかのグループに分かれ、距離をとって演奏するのですが、リハーサルのときに私は一度音を間違えたことに気づきました。直後にひとこと謝ったのですが、少し離れたところにいたピエール・ブーレーズが、批判するでもなく、「違ったのは三回だったね」と言ったのです。その通りでした!権限をふるうでもなく、でも間違いを許容するわけでもない、その態度に私はとても驚きました。表には決して出さない、この父性愛に満ちたユーモアで、彼は私たちを魅了したのでした。

私がピエール・ブーレーズに出会ったとき、彼はすでに72歳でした。かなり柔和になったと言われていたのですが、それでも巨大な組織が動かないことに対する、強固な戦いの姿勢ははっきりと見せていました。と同時に、いつも演奏家たちの近くに立っている音楽監督でした。彼はアンサンブル・アンテルコンタンポランの前身、ドメーヌ・ミュジカルの時代にメンバーたちにリハーサル中にタバコを吸うことを禁じたのですが、その理由が「煙で演奏家たちの表情がちゃんと見えないから」でした。まあ、本人も相当な愛煙家だったのですが。

ピエール・ブーレーズが集中したいと思ったとき、何があってもその邪魔はできませんでした。アンサンブルの今の音楽監督はマティアス・ピンチャーですが、10年前、彼の誕生日に彼の作品をザルツブルグで弾く機会がありました。せっかくリハーサルに本人がいたので、私はハッピーバースデイをピンチャーの曲のように弾き始めました。すると他のメンバーたちもそれに乗って演奏しだし、楽しく盛り上がったのです。するとピエール・ブーレーズが直ちにやめるようにと言い放ちました。そしてリハーサルを開始したのです。

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ある年、エックス・アン・プロヴァンス音楽祭で、フリーランスの演奏家たちの権利を向上させるためのデモが行われました。デモ参加者たちは自分たちの主張を認識してもらうために私たちのコンサートを中止させようとしました。劇場の外までやってきて、金属製のドアを叩きました。そのときシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」という、まさに間を重んじる繊細な曲を演奏していたのですが、互いの演奏が聞こえなくなるほどの騒音でした。それでも私たちは演奏を続け、彼らが諦めて帰った後、ピエール・ブーレーズは次のように言いました。「曲が終わっていないのだから、デモ参加者は力づくで抑え込まない限り自分は指揮を止めなかった」と。彼の信念と意志の強さを思い出すと、今でも胸が熱くなります。

ピエール・ブーレーズが自分の曲を指揮するとき、観客は狂喜しました。ときには5回以上アンコールがあったりして、舞台上を行き来して挨拶するブーレーズの姿を私は敬意を持って見守っていました。彼のもつ音楽言語は複雑です。でも曲の構成と指揮の妙技でもって、演奏家たち、そして観客が感じたかもしれない困難を取り除いてくれたのです。彼は、演奏家たちを舞台上のパフォーマーに変容させ、エネルギーをまとめあげてくれました。彼は、こだわりを持った正真正銘の音楽家だったからです。

余談ですが、ピエール・ブーレーズは私が急に坊主頭にするのをとても喜んでいました。最初に頭を剃ったのはアンサンブルに入ってすぐのときでしたが、それ以降、彼は私が頭を剃る度に初めて見た時の衝撃を思い出し面白がっている様子でした。驚きやポジティブなアクシデントが他の思い出を想起させ、彼の中でアイディアや話の種を生むのだと想像します。彼の記憶はとても鮮明で、話をすることで書物が一冊できるほどでした。同様に、ブーレーズは言葉を話すように音楽をつくって、歴史に残る作品を創ってきました。それは「主人なき槌」、1954年からです。

私は今回、ジョナサン・ノットの指揮で、東京交響楽団の演奏によるメモリアルを聴くことができて心から嬉しく思います。Esをめぐっての美しいお祭りのようなこの曲を私は格別に好きでして、ジョナサン・ノットは私が初めてスイスのルッツェルン音楽祭でブーレーズの曲(レポン)を弾いた時の指揮者だったからです。そのとき彼はこの曲に重厚な広がりと流れるようなうねりをもたらしたのです。指揮棒を持っていようが持っていまいが、手による美しい動きで私に強い印象を残してくれたのは、ブーレーズとノットだったのです。

「革命を起こしなさい」という言葉を私たちに残してくれたのがブーレーズでした。賢者のような存在となった年の離れた師匠の、そう大人しくはないこの言葉は驚くに値するものと言えるでしょう。

プロフィール
エリック=マリア・クテュリエ / ピエール・ブーレーズの創設したアンサンブル・アンテルコンタンポランのソリストとして欧州最高峰に位置する演奏家の一人。パリ国立高等音楽院(CNSM)でロラン・ピドゥそしてクリスチャン・イヴァルディの元でチェロおよび室内楽を学んだ後、パリ管弦楽団に入団。ボルドー国立管弦楽団のプリンシパル・ソロを経て、2002年にブーレーズにその才能を見出された。どんな難解な曲も弾きこなすダイナミックな技術と、深く繊細な音楽性で古典から現代曲まで幅広く才能を発揮し、ショルティ、ジュリーニ、サヴァリッシュ、マゼールといった名だたる指揮者と共演してきた。現在、ソリストの活動と並行し、CNSMの助教授として後進の育成にも力を注ぐ。またトリオ・タルヴェグのメンバーとしても新譜を発表し、ジャズや電子音楽の分野での演奏も注目されている。


公演情報

  • 東京オペラシティシリーズ 第109回
    2019年5月18日(土)2:00p.m.
    東京オペラシティコンサートホール

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