鼎談 東京交響楽団のこれまでとこれから
取材・文/松本學(音楽評論家)

相澤政宏 / エマニュエル・ヌヴー / 水谷晃 インタビュー

東京交響楽団が誕生したのは1946年。2016年には創立70周年を迎えました。その記念すべきシーズンを締め括るコンサートが、桂冠指揮者の秋山和慶さんとともに祝う3月5日の東京オペラシティシリーズ第96回です。ここでは、この公演でソリストを務めるフルートの相澤政宏さん(1989年入団)、クラリネットのエマニュエル・ヌヴーさん(2002年入団)、コンサートマスターの水谷晃さん(2013年入団)の三方に、このコンサートや、東響のこれまでとこれからなどを話題にお話を伺いました。

クロンマー《協奏交響曲》の魅力

―70周年シーズンの最後ということで、今回は趣向を凝らして、すべて作品番号70の曲でプログラムが統一されています。皆さんはクロンマーの《協奏交響曲》に出演されますが、この3つの楽器の組み合わせによるコンチェルトというのは珍しいですね。同じ作曲家による作品80を除き、他にほとんど思い当たりません。
この編成に限らず、相澤さんとヌヴーさんは、複数の独奏楽器のための協奏曲で共演されたことはあるのですか?

相澤:いわゆる定期演奏会では、2014年6月に、藤倉大さんの5人のソリストとオーケストラのための《Mina》で共演したくらいです。

―今回のクロンマー作品の魅力はどのようなところでしょう?

相澤:音色的にとても面白いと思います。それぞれ発音体が違うので、どういう風な響きになるのか、楽しみですね。私たちのちょっとしたメロディも、シンプルではありますが、なかなかに素敵で可愛らしい。

ヌヴー:聴きやすくてよい曲です。一番忙しくて大変なのはヴァイオリン。クロンマーはヴァイオリンの奏者でしたね。

水谷:そのせいもあってか、ヴァイオリンのパッセージはかなり技巧的です。

相澤:それに協奏交響曲は一般的には3楽章形式が多いと思うのですが、5楽章というのも珍しいです。

―第2、第4の偶数楽章は舞曲楽章でもあります。

水谷:そう、速い楽章で始まって、メヌエットが続き、ヴァリエーションをセンターに置いて、ポラッカがあって、速いフィナーレになる。つまり、アーチ構造をしているわけですよね。後々バルトークがクァルテットなどで使うことになるような技法を、既にこの時代の人たちが使っているわけです。クロンマー自身もチェコ出身でハンガリーやウィーンで活躍した東欧圏の語法の人ですから、そういう共通点が後々にまでつながっているのが見えて面白いです。


思い出のコンサート

―さて、70周年ということで東響の歴史について伺いましょう。これまでのコンサートで思い出深いものは?

相澤政宏 / エマニュエル・ヌヴー / 水谷晃 インタビュー

相澤:最近では、2015年6月のノット監督とのブルックナー《交響曲 第7番》ですね。前監督のスダーンさんも同じ7番かな(2009年3月)。ノット監督とは全然違いましたが、両方ともとても印象深い。他には、首席奏者になって初めての舞台だったマルティン・ジークハルトさんとのショスタコーヴィチの《交響曲第5番》(1995年1月)や、パーヴォ・ヤルヴィさんとの同6番(2000年11月)が心に残っています。

ヌヴー:定期演奏会へのデビューは2002年6月、大友直人さんの指揮でエルガーの《交響曲 第2番》でした。印象に残っているのは、スダーンさんとのシューベルトの《グレイト》(2007年11月)、キタエンコさんとのラフマニノフの《交響曲 第2番》(2013年6月)。それと、やはり2011年10月のノット監督初登場の時の《ダフニスとクロエ》です。
若い指揮者もよいと思いますよ。2016年9月に登場したヴィオッティさんはすごく熱心でフレッシュ。ウルバンスキさんも大好きです。首席客演指揮者として最後に演奏したチャイコフスキーの《交響曲 第4番》(2016年5月)は素晴らしかった。彼とはモーツァルトの《クラリネット協奏曲》も共演しました(2015年5月)。これもとてもよい思い出です。

水谷:私は入団して最初に出演した定期演奏会ですね。キタエンコさんが指揮したラフマニノフの《交響曲 第2番》(2013年6月)。ヌヴーさんのソロが素晴らしくて、今でも鮮明に覚えています。すごく強烈で、「ああ、いい音楽ができるオーケストラに入れたんだ」という感謝と、自分の至らなさへの反省と、様々に思い出深いです。

―皆さんは入団の時期が、それぞれ10年、もしくはひと回りずつくらい違うのですけれども、入団当時と比べ、今の東響にどのような変化を感じますか?

相澤:大きく変わりました。私が入った時は財政的に上向きになった直後だったので、割と皆、明るい雰囲気だった思いますが、演奏の精度という点では、やはり今とは全然違います。1995年辺りから少しずつ海外の指揮者が客演するようになって、その頃からオケが変わってきたように感じます。それらの中で印象的だったのは、ウィーン・フィルのコンマス出身のエーリヒ・ビンダーさんがベートーヴェンの7番やブラームスの1番を演奏した時(1995年7月)で、これはかなり盛り上がりました。2004年にはスダーンさんが音楽監督になり、今はノット監督と、よい方向に進んでいると思います。水谷さんをはじめ、若く優秀な方々がどんどん入って来てくれているのも嬉しいですね。

ヌヴー:確かにメンバーも随分変わりました。

―1994年のシェーンベルク《モーゼとアーロン》もですが、2000年にラッヘンマンの《マッチ売りの少女》を採り上げた時は、大きなエポックを感じました。

相澤:そうですね。アンサンブルという面では、その後に演奏したヤナーチェクなども木管にとても高い音域が出てくるのですが、それらもより精確にできるようになってきたという感触はありました。

音楽監督ジョナサン・ノット

―ノット監督とは、2011年10月にたった1度共演しただけで音楽監督の契約を結んだわけですが、その時の第1印象はいかがでしたか?

相澤政宏 / エマニュエル・ヌヴー / 水谷晃 インタビュー

相澤:実は最初は棒がわからなかった(笑)。今でも「えっ」という時はあるのですが、皆よい意味で慣れてきたと思います。

ヌヴー:私もまだ時々びっくりしますが、それがアンサンブルにプラスに働いている場合もあります。

相澤:仰ることも素晴らしいし、「今すごくよいものができている」という実感を演奏中の多くの場面で感じます。

ヌヴー:スダーンさんとノット監督は、2人ともご自分の音楽を持っていますが、スタイルはまったく違います。スダーンさんは彼のやりたいことに引き寄せる。ノット監督は自由に、好きなようにしてくださいと言っておきながら、いつの間にか彼の音楽に導いている感じ。2人は全然違うけれど、どちらも素晴らしい。

水谷:私が入団した時には、ある程度今のメンバーがもう揃っていました。ですから相澤さんとは違って、ほぼ同じメンバーのオーケストラが、音楽監督によってどう変わっていくのかという状況だったんです。ちょうど、スダーンさんの任期の最後の頃で、オーケストラは彼の色に染まっていました。その後、ノット監督が来て、変化を迎えるわけです。ノット監督が棒から発する様々な情報をどう見てよいのか、最初はわからないことがたくさんありました。それがツアー、そしてオペラを経て、ここに来てようやく何かこう、ノット監督の道を一緒に歩めるようになってきたかなという手応えを感じているところです。

―ノット監督は同一プログラムで複数回公演あると、例えばミューザ川崎とサントリーホールとでアプローチを変えてくることがあるように見受けられるのですが。

相澤:あります。

―それは即興性でしょうか? あるいはオケを試している?

相澤&水谷:全部当てはまりますね(笑)。

相澤:ノット監督自身、その場で思いつくものもあるし。ただ彼の場合、棒の拍と拍の間に常に余裕があるんです。そしてオケに自由に演奏させておきながら、結局彼の音楽にしてしまっている。そういうところなど、本当に驚かされます。

水谷:ノット監督が毎回変えてくると仰いましたけど、まさしくそうなんです。初年度の合言葉は「Take a risk」だったじゃないですか(笑)。楽員だけではできないことをするために指揮者がいるのだからと、我々が守りに入ることを決してよしとしないのですよね。常に挑戦的。それと同時に、人間が生きていて同じ瞬間など1秒たりともないということを、ノット監督はまさしく音楽によって体現しているのだと感じます。それをこちらも余裕を持って楽しまなくてはいけない。


創立70周年ヨーロッパ・ツアーを終えて

―今シーズンはヨーロッパ5都市への演奏旅行もありました。相澤さんは以前から海外演奏旅行に参加されていますよね。

相澤:1991年には創立45周年記念のワールド・ツアーがありましたし、翌1992年はタイとシンガポール。タイはシリキット王妃の還暦祝いでもありました。1994年に現代音楽を演奏しにポルトガルに。1996年は50周年記念で欧州、2001年が55周年でトルコ、イタリアですね。その後は中国に3回。私は1回しか行っていませんが、2006年北京と2010年・2011年大連とに行っています。

―その中で今回はいかがでしたか?

相澤:明らかによい演奏でした。自分たちの音楽を発信するんだ、という楽員たちの意思がしっかりとあった演奏会でした。ノット監督とのコミュニケーションから、自分たちでより積極的に音楽を表現していきたいという流れが生まれている中で、ちょうどよい通過点に演奏旅行があったと思います。

水谷:スケジュールとしては結構過酷でしたよね。演奏して翌日に移動して、また次の日に演奏して。

相澤:でもね、45周年の時と比べるとすごく楽だった。あの時はバスで5時間移動して、着いたらそのまま演奏。そういうのが続いて、おまけに25日間で18回本番があったんだよね。

水谷:ほんとに!?

ヌヴー:今回、相澤さんは本番が2回、私は3回だったので時間が結構ありました。

水谷:そうか、私は全部の公演を演奏しましたが、それでも以前に比べればずいぶん楽だったんですね。ただノット監督の場合、どうくるかわからないスリルがあるので、時間的な余裕はありがたかったです(笑)。ノット監督はリハーサルで振りながら、会場ごとの響きの特性はもちろん、その日の楽員のコンディションまで鋭くキャッチして、それならこういうショックを与えてみよう、そうするとこうなるだろう、というようなことまで絶対に考えて指揮していると思うんです。

ヌヴー:ウィーンの楽友協会ホールにも感動しました。素晴らしいホール!

水谷:私もあそこの響きをステージで体感できたのは収穫でした。実際に弾いてみて、ウィーン・フィルが上手い理由が改めてわかった気がします。よい音も悪い音も、どちらも増幅されて聴こえるんですね。それゆえに、自分自身もオケのクオリティもはっきりわかってしまう。やはりあのオーケストラはこのホールによって育てられている部分がものすごく大きいんだなと。ですから、私たちの課題も見えた感じがしました。音質が音楽を作るわけですから、そんなに大きな音はいらない。音量ではなく、どれだけのカラーを作り出せるか。

―ウィーン・フィルに楽友協会ホールがあるように、東響にはミューザがありますね。

水谷:ええ、その通りです。

相澤:それは本当に大きいです。私も東響もミューザに移ってとても変わりました。ホールも楽器のひとつと捉えて演奏しなければいけないと思います。

水谷:そういった意味でも、ヨーロッパ・ツアーで、同じ曲をまったく違う5つのホールの響きの中で演奏できたというのは、対応能力の訓練としてもとてもよい経験でした。

ヌヴー:そういえば、楽友協会はステージからお客さんがよく見えるホールでしたね。

水谷:ショスタコーヴィチの最後の音が消えた瞬間、客席に目をやったんだけれど、楽団長たちのあんな嬉しそうな顔、初めて見ました(笑)。


東京交響楽団のこれから

―さて、次の75周年には東響はどのように変化しているでしょう? あるいは、どのように変わっていたいと思われますか。

水谷:東響のよさは、それぞれがとても聴き合ってよいアンサンブルを作っているところです。今、木管陣が特に充実しているので、弦もセクション全体で、ウィーンのホールで感じたような多彩なカラーをもっと出せるよう目指したい。絶対にできると思います。ノット監督も今まで以上に細かく踏み込んで来るでしょうから、それに対し徹底して意を汲み応えつつ、同時に枠に収まらず、どこか自由でもあるようなコラボになりたいと思います。

ヌヴー:まだ完全には慣れていない部分も残っていますが、上手くコンタクトが取れているから、5年後にはもっとよい感じになるでしょう。

相澤:さらに進化しているはずです。もっとひとりひとりがたくさん発信し、それでいてアンサンブルもしっかりできているオーケストラ。合わせるためのアンサンブルも必要かもしれませんが、それよりも個々が色々なことを試し、表現しながら、結果としてひとつのものに到達していくという集団になっていきたいなと。

水谷:近況を振り返ると、先日の《コジ・ファン・トゥッテ》はその中のハイライトだったと私は思います。皆も発信して、ノット監督も常に要求してくる。それらが噛み合った瞬間が今まで以上にたくさんあった。

相澤:自他共に最高と認められるオーケストラになりたいと入団した時から思っていました。今、それが非現実的な目標でもないような気がしてきています。もちろんこの先へ進むには、技術を含め、ひとりひとりのクオリティも上げないといけないでしょう。

―現時点で、東響はとても高い人気と注目を受けていますよね。特にノットとのコンサートの後はひときわ反響が大きいです。

相澤:すごく嬉しいです。でも、だからこそさらに充実した演奏をしていかないといけませんね。

公演情報

  • ・東京オペラシティシリーズ 第96回
    3月5日(日)14時開演 東京オペラシティコンサートホール >>詳細

指揮=秋山和慶
フルート=相澤政宏
クラリネット=エマニュエル・ヌヴー
ヴァイオリン=水谷晃

ハイドン:交響曲 第70番
クロンマー:フルート、クラリネットとヴァイオリンのための協奏交響曲 作品70
ショスタコーヴィチ:交響曲 第9番 作品70