
東京交響楽団の歩み
1946 |
東京交響楽団の前身 東宝交響楽団設立 ![]() |
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1947 |
定期演奏会スタート ![]() |
1951 | 「東京交響楽団」と名称変更 ![]() |
1956 | 財団法人認可「財団法人 東京交響楽団」となる ![]() |
1963 | 秋山和慶が22歳でデビューする ![]() |
1964 | 経済的破綻から財団法人解散、楽員管理による自主オーケストラに転身 |
1968 | 秋山和慶が初代音楽監督・常任指揮者に就任 |
1976 | 金山茂人が楽団代表になりその後楽団長に就任。初めての海外公演(北米) |
1980 | 「財団法人」再認可 ![]() |
1987 | 専属合唱団「東響コーラス」創立 |
1988 | 横川 端(「株式会社すかいらーく」代表取締役会長/当時)が理事長に就任 |
1991 | 創立45周年を迎え、1ヶ月間にわたるワールドツアーを行う ![]() |
1992 | 大友直人プロデュースによる「東京芸術劇場シリーズ」開始 株式会社すかいらーくが「第2回メセナ大賞」受賞 当楽団への支援方法が高く評価される |
1994 | シェーンベルク:歌劇「モーゼとアロン」を演奏会形式で上演 ![]() |
1996 | 文化庁「アーツプラン21」発足に伴い、最初の支援団体に選ばれる |
1998 | 東京オペラシティシリーズ開始 新潟市と準フランチャイズ契約を結ぶ |
1999 |
新潟定期演奏会開始 |
2000 | ラッヘンマン:歌劇「マッチ売りの少女」を演奏会形式で日本初演 ![]() |
2001 | 創立55周年を迎え、トルコ・イタリアツアーを行う ![]() |
2002 | サントリーホールと共催で「こども定期演奏会」開始 川崎市とフランチャイズ提携を交わす |
2004 | 本拠地・ミューザ川崎シンフォニーホールがオープン こけら落し公演ではマーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」を演奏 ユベール・スダーンが第2代音楽監督に就任 ![]() |
2005 | 山下芳彦が楽団長に就任 |
2006 | 創立60周年を記念して「北京で会いましょう」芸術祭参加 |
2007 | 「0歳からのオーケストラ」をスタート。 未就学児の入場を可能にした演奏会として注目される ![]() |
2009 | 大野順二が楽団長に就任 |
2010 | 大連夏季国際芸術祭に参加。日本のオーケストラとして初めて、中国・大連市にて演奏会を行う |
2011 | 東日本大震災の被害により、ミューザ川崎シンフォニーホールが2年間閉館 内閣府の認可を受け、「公益財団法人 東京交響楽団」としてスタート 中国・大連夏季国際芸術祭に再招聘される ![]() |
2012 | 川崎定期演奏会を横浜みなとみらいホールで開催する 澤田秀雄(株式会社エイチ・アイ・エス代表取締役会長)が理事長に就任 |
2013 | 本拠地・ミューザ川崎シンフォニーホールがリニューアルオープン 八王子市学園都市文化ふれあい財団とパートナーシップ提携を交わす |
2014 | ジョナサン・ノットが第3代音楽監督に就任 ![]() |
2016 | 創立70周年を記念し、ヨーロッパツアーを行う ![]() |
2018 | 日中平和友好条約締結40周年記念し、上海・杭州にて公演を行う |
2019 | ミューザ川崎シンフォニーホール15周年記念公演「グレの歌」上演 ![]() |
2020 | 新型コロナウイルスの感染拡大による公演中止が相次ぐ中、「名曲全集 第155回(3月8日)」と「モーツァルト・マチネ第40回(3月14日)」をオーケストラとして初めてニコニコ生放送で無観客ライブ無料配信し、約20万人が視聴。以降、無観客演奏会配信が全国に広まった 「マッチングギフトコンサート」が川崎市の支援のもと開催され、自治体とオーケストラによる前例のない取組が注目を集める 事前に録画されたジョナサン・ノットの指揮を会場で映して演奏する、前代未聞の「映像指揮」で2演目6公演を行う ![]() |
2021 | 文化庁委託事業「文化芸術収益力強化事業」の一環として、当団が代表幹事団体となり、全国のプロオーケストラとともにチームラボボーダレスでの新感覚コンサートを開催 プロオーケストラで初めて電子チケットを導入 ![]() |
2022 | 岡崎哲也(松竹株式会社 取締役常務執行役員)が理事長に就任 |

















