《音楽監督ジョナサン・ノット 対談シリーズ⑦》
音楽監督ジョナサン・ノット 7月演奏会を語る

~「リゲティ」「シュトラウス」そして「芸術家」「死」~

ジョナサン・ノット

ジョナサン・ノット監督に今年7月の定期演奏会について訊いた。リゲティの〈レクイエム〉を中心とする「人生と死」をめぐるプログラム……。

―今回の演奏会の選曲について教えてください。

「まず、東響コーラスとの共演を考えました。何でも暗譜で歌うこの素晴らしいアマチュア合唱団がどこまでできるのか、知りたくなりました。秋には『グレの歌』もやることですから。そして、無理かもしれないと思いつつ、合唱団に『リゲティの〈レクイエム〉はいかがですか?』と尋ねてみたら、『やります!』と返事をされたのです。そして、私は東響で何年もかけてリゲティのほとんどの管弦楽レパートリーに取り組んでいるので、合唱団ができるのなら、〈レクイエム〉をやろうと思いました。
 合唱ということで、次に、イギリスのトーマス・タリスの《スペム・イン・アリウム》を取り上げたいと思いました。40声部で歌われ、パワフルで、複雑な対位法からなる作品。部分的に、リゲティのミクロポリフォニーのようにも感じられます。
 この2つの作品は、16世紀の合唱曲のピュアな宗教的表現と現代音楽での合唱の力強さとを2つの柱とする、合唱のアーチで結ばれます」

―もう一組は、二人のシュトラウスですね。

「まずは、ヨハン・シュトラウス2世の《芸術家の生涯》。ワルツは、それ自体が生と死を含んでいます。ダンスの動きは生だが、止まると死。この作品はかなり洗練されています。何も考えないで踊る単純な音楽のようで、本当は何層にもなっています。力強い生もあるが、メランコリックな面もある。コンサートでは、この曲の舞踏会の世界からリゲティのブラック・ワールドへと入っていくわけです。しかし〈レクイエム〉でもアップダウンが繰り返され、生と死が循環します。
 リヒャルト・シュトラウスの《死と変容》は、19世紀後半というある種のドラッグをやっているような熱い時代に書かれました。今では、香水のかおりのする、危険度の少ない、些か古びた表現と思われがちですが、私たちは彼が力を込めて素晴らしく書いたこの作品で言おうとしたことを見失っているのかもしれません。
 人生の答えを知ることは誰にもできません。人生は白か黒かではありません。毎日の素朴な楽しみと答えの出ない問いかけはつながっています。この二人のシュトラウスの作品は、そういうアーチによって結ばれています。
 これら2つのアーチによって、とてもエキサイティングで面白いプログラムが作れたと思っています。

ジョナサン・ノット

―まさに「人生と死」をテーマとしたプログラムですね。それは、2018年に演奏したエルガーの《ゲロンティアスの夢》やR.シュトラウスの《英雄の生涯》ともつながりますね。

「その通りです。一つひとつの演奏会は、シーズンという大きなストーリーのチャプター(章)としてつながっています。
 また、7月のコンサートには、2つの重要なポイントがあります。一つは“ヴィルトゥオジティ(妙技・名人芸)”です。つまり、人間の極限状態での卓越した技術のことです。タリスの作品ではとてもピュアな音から巨大な音の連続体まで、リゲティの〈レクイエム〉では非常に難しい音程や叫び声のような歌唱を用います。また、ヨハン・シュトラウスのワルツを美しく演奏するのはとても難しい。単純に見えますが、曲者なのです。《死と変容》も音をどう合わせるかが難しい。このコンサートでは、すべての演奏者にヴィルトゥオジティを求めるプログラムになっています。
 そしてもう一つは“聴衆”です。すべての聴衆を包み込むようなプログラムになっています。オーケストラを初めて聴く人に、是非、来てもらいたい。リゲティの音楽は、現代音楽ではありますが、キューブリックの映画に使われたように、若者を刺激する音楽です。1960年代に思いを馳せる人もいるでしょう。ヨハン・シュトラウスのワルツというと、人々はそれぞれに、ウィーン、ニューイヤー、パーティ、古き佳き時代などと結び付けます。今回の曲ではないのですが、例えば、《ツァラトゥストラはかく語りき》を、人々は、映画《2001年宇宙の旅》や、月面着陸や、エルヴィス・プレスリーに結び付けます。それはリヒャルト・シュトラウスが意図していたことではありません。でも、人間の感情や人生の見方は時代によって変化します。このコンサートはクラシック音楽を初めて聴くには良いチャンスです。人それぞれに自分の人生の変化をたどることができます。あらゆる聴衆が、自分に照らし合わせて楽しめるプログラムを組みました」

―ノットさんは、熱心にリゲティ作品の演奏に取り組んでられます。リゲティ本人と会われたと聞きましたが、その時の話をきかせていただけますか?

「1992年、93年頃でしょうか。Askoアンサンブルの打楽器奏者に誘われて、アムステルダムでリゲティのピアノ協奏曲などを指揮したときのことです。リハーサルにリゲティが来ていました。長いリハーサルのあと、休憩を入れたとき、彼と一緒にトイレに行ったのです。トイレを出てから、リゲティは私に言いました。『ジョナサン、僕の音楽を演奏し続けるって、約束してくれないかな? 君のやり方が気に入った。それを続けてくれ』。当時は、まだリゲティがそんなに凄い作曲家だとは知りませんでした(笑)。そう言われたから、今、彼の作品をやっているわけではありませんよ。その後、2,3年、リゲティとは何度も会いました」

―その後、ベルリン・フィルと《ロンターノ》、《アトモスフェール》、《アパリシオン》、《サンフランシスコ・ポリフォニー》、〈ルーマニア協奏曲〉(以上、2001年)、〈レクイエム〉(2002年)を録音されましたね。

「レコード会社は、エサ=ペッカ・サロネン&フィルハーモニア管とでリゲティ作品全集の録音をすすめていました。でも、意見の食い違いがあり、それらはリリースされませんでした。その後、今度はリゲティ作品全集の録音でベルリン・フィルを使うということになり、スポンサーもベルリン・フィルも承諾し、私が呼ばれて指揮することになりました。もちろん、私はベルリン・フィルを指揮したことがありませんでした。リゲティが推薦してくれたのだと思います。それはリゲティにとっても大きなリスクだったはずです。
 リゲティの曲を5つ提案したのですが、ベルリン・フィルの事務方が、コンサートでリゲティ5曲はチケットが売れないから無理、と言ってきたので、《ロンターノ》、《サンフランシスコ・ポリフォニー》、《アトモスフェール》をコンサートに入れ、残りの2曲はセッション録音にまわすことにしました。コンサートでは、キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』つながりで《ツァラトゥストラはかく語りき》を取り上げ、あと、パーセルの〈ヴィオラ・ダ・ガンバ・クァルテット〉も入れました」

―それは2016年4月の東響の定期演奏会と同じプログラムですね。

「とても興味深いプログラムなので東響でも取り上げました。 ベルリン・フィルとの最初のリハーサルは、《ツァラトゥストラはかく語りき》でした。私は《ツァラトゥストラはかく語りき》を指揮するのが、そのとき初めてでした。でもベルリン・フィルとのコンサートは大成功でした。そのコンサートの成功以来、私は、自分にとって予期していないことでも、断らず、自分をそこに置いてやってみることにしています」

ジョナサン・ノット インタビュー

ノット監督のデスク。
色とりどりのペンによる書き込みが。

―そしてベルリン・フィルとCDを録音したのですね。

「3日間、朝から晩まで録音しました。朝から夕方までセッションで2曲と修正部分を録音し、夜は演奏会で3曲をライヴ録音しました。リゲティはそのころ体調を崩していて、ベルリンには来れませんでした。それで電話で『ジョナサン、イギリス的な灰色はダメだよ。白か黒かだ!』と言われました(笑)。なるほど、と納得しました。そして翌年、ベルリン・フィルと〈レクイエム〉を録音しました。これはライヴ録音でした」

―リゲティの音楽の魅力はどういうところにあると思いますか?

「リゲティの音楽は、複雑そうで実は明確で把握しやすいのです。たとえば、ピアノ協奏曲は、複雑なリズムですが、実はたった2つのリズムからなっているのです。リゲティの音楽は、シンプルなアイデアから始まり、彼はそのシンプルさを隠そうとはしません。《メロディエン》では、メロディラインや和音の重なりなどの調性的なバックグラウンドがありながら、調性ではない音楽を書きました。《ロンターノ》では無調性のなかに調性的な要素を聴きます。リゲティの作品には、頭と心の絶妙なバランスがあります。数学的な構造と感情的な内容。リゲティの音楽は、知的な刺激と感情の両方を満たしてくれます。彼は非常にシンプルな音楽をとても複雑な手法で書きました。現代において、彼ほど明確な音楽を書いていた人はいません。《アトモスフェール》冒頭のクラスター(音の塊)にさえ、美が感じられます。そのすべての音を使う音の塊というのは、逆にシンプルな手法でもあるのですね。彼の作品は現代音楽の喜びへと導いてくれます。

―リゲティの〈レクイエム〉の聴きどころはどこにあるのでしょうか?

「火山の爆発のような怒り、怖れ、死の概念、生の喪失、そしてその一方で、慰めもある。火山の黒い溶岩のようなものとダイヤモンドの結晶のようなもの。それらはコインの表と裏なのです。現代的でありながら、原初的。あらゆる感情を含んでいながら、答えはない。マーラーの交響曲第9番の最後もそうですね。そしてこの曲は、独唱者、大合唱、大オーケストラのすべてにヴィルトゥオーゾであることが求められます」

―最後に聴衆のみなさんにメッセージを

「この演奏会を聴き逃してはいけません! すぐにスケジュール帳に書き込んでおいてください。売り切れ確実ですから(笑)。東響コーラスが引き受けてくれたのがとてもうれしかった。私は東響コーラスを誇りに思っています。彼らは暗譜で歌ってくれることでしょう。私自身がこのコンサートができるのをとても楽しみにしています。」

取材・文:山田治生(音楽評論家)

公演情報

ジョナサン・ノット