楽団について ABOUT TSO

チェロ

Cello

黄原 亮司
Ryoji Kohara

フォアシュピーラー
Vorspieler

入団年:1991年
出身地:中国上海市

上海音楽院卒業。(財)辻アジア国際奨学財団の奨学生となり、1992年東京藝術大学大学院修士課程修了。JT音楽賞を受賞し、1995年アフィニス文化財団の海外研究員として渡米。ヒューストン大学、ジュリアード音楽院に留学し、研鑽を積む。2002年文化庁の後援を受け、北京にてリサイタル、国立中国音楽院マスタークラスの公開レッスンを開催。続いて2008年北京国際音楽祭にて、コントラバス奏者の永島義男氏と共演。また中国音楽院にてマスタークラスの公開レッスンを開催。2010年上海万博にて上海交響楽団と共演、9月上海万博日本館にてコンサートを行う。国立中国音楽院客員教授。ソロ、室内楽、CMなどで国内外で積極的な演奏活動を行う。今までに7枚のCD、ドレミ音楽出版よりDVD「チェロ超入門」、教則本「チェロ初歩の初歩入門」をリリース。

Q&A

  • 初めて好きになった曲は? ベルリオーズ:《幻想交響曲》
  • 最近ちょっとハマっていること パン作り
  • 本番前はどんなふうに過ごしていますか? ステージでコンサートをイメージして気持ちよく練習しています
  • マーラーで好きな作品は? 交響曲 第2番《復活》
黄原 亮司

インタビュー

五線譜から楽譜を作る
 チェロを選んだのは、7歳の時に聴いたロストロポーヴィッチの演奏がきっかけでした。それまで音楽と無縁の家庭でしたが、両親のサポートを受けながら9歳からチェロを始めました。当時の中国は日本の戦後のような環境です。毎週自転車で片道1時間をかけてレッスンへ通い、家では冷暖房のない部屋で長時間練習をしていました。その頃、先生のお宅にあったステレオとレコードは大変貴重なもので、頻繁に聴くとすり減ってしまうらしく、滅多に聴くことが出来ませんでした。レッスンを頑張ったご褒美として、レコードを聴くときは一つの音も聞き逃すましと集中して聴いたものです。また楽譜は手に入りにくく、先生から楽譜を借り、無地の紙に五線譜を手書きしてから、一曲一曲写譜をしていました。時には先生や両親が私のために写譜をしてくれました。その時はとても大変な思いをしましたが、この経験は、今でも忘れられない思い出になっています。

日本での挑戦
 大学卒業後、上海交響楽団へ入団し充実した生活を送っていました。しかし向上心と好奇心が強い性格の私は、経済成長を遂げていた日本への憧れがあり、経済の勉強をしてみたいという思いから、26歳の時にチェロを辞めて日本へ行くことを決めました。夢と希望を持って来日しましたが、当時は日本語が話せず、日々のためにアルバイトに追われていました。
 あるとき、教会へ足を運ぶ機会があり、礼拝堂で流れるオルガンの響きや賛美歌に心を打たれました。
 また久しぶりに弾いた私のチェロを聴き、涙している人々を目にし、チェロに対して今まで感じたことのない熱い感情が起こりました。そして学ぼうと思っていた経済の勉強ではなく、もう一度チェロに向き合いたいと強く思うようになり、アルバイトの合間を縫い必死に受験の準備をし、28歳の時に東京芸術大学大学院へ入学をしました。

黄原 亮司
子どもの時に写譜したお手製の楽譜

大きなエネルギーに包み込まれ
 中国では経験しなかった孤独、絶望と不安の生活を経験したことで、人間的にも音楽的にも成長できたように思えます。たとえば、ベートーヴェンやラフマニノフは絶望や不安の中からも音楽が生まれました。わずかではありますが、作曲家の苦しさも楽譜を通じて感じることができるようになりました。
 ノット監督は古典から現代まで幅広いレパートリーを持っています。音楽すべてを包み込むエネルギーと大きいスケール、自由な発想で違う世界へと連れて行ってくれるのです。ノット監督の世界観で東響が良さをさらに引き出していっていただけると思っています。これからもノット監督の公演・リハーサルを楽しみにしています。



このインタビューは演奏会プログラム「Symphony」2018年9月号に掲載されたものです。現在と情報が異なる場合がございます。

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